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漂遊する脳髄

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『短歌という爆弾』

穂村弘の『短歌という爆弾 ー今すぐ歌人になりたいあなたのためにー』を
読み終わった。

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まえがきにあたる”導火線”から始まり、”製造法”(作り方のレッスン)、
”設置法”(作った短歌をどう広めるか)、”構造図”(現代短歌の魅力の解剖)と続き、
終章、あとがきに加え文庫版ではスペシャル・インタビューが収録されて
1冊となっている。

導火線〜設置法までの読みやすさに比べ、構造図の章は専門的な視点から
語られるので難解さがある。
また、解説において歌人の枡野浩一が「なるほどと思う意見と、そうかなあと
思う意見が両方あるはずだ」と述べているように、素人目には良いように
思う歌でも、作者は高く評価していないものもあって、
えー、それって個人の好みにもよるんじゃないのー??
とか不平を言いたくなったりもする。←失礼
(ちなみに、この”あとがき”も面白いです^ ^)

しかし、自分がどういう歌が好きなのか、何故それが好きなのか、と考える
ことも含め、短歌の読み方を知る面白い本でありました。

また、作中に、これは短歌に限らず作品作りの際に言えることなのでは
ないかと感じた記述があったので、少し長くなるけれど抜粋してみたいと
思う(自戒を込めてw)。


略)これはとても大事なことだから触れておきますが、たとえばこの歌は、
愛情や善意や暖かさを肯定的に描いていて確かにいいものなんだけれども、
でもそれはやはり世界の半分に過ぎないわけです。世界の半分だけしか始めから
視野に置かない形で書いているということは、いくらそれが「愛情」や「善意」と
いう一般的にいいとされている価値観であっても、詩として見たときはもの足りなさを
感じさせてしまう。



・・・私の場合は逆に暗い部分が優勢になりがちなので(^_^;)
あんまり厭世的にならないように気をつけよう。。


(略)読者より先にまず歌の作者が自分で自分に共感してしまっているために、
他人と共有できる感動を生み出すには至っていないのである。他人に共感するのに
比べて、自分で自分の気持ちに共感することはたやすい。この容易さは自分自身の
本当の心に向かって言葉を研ぎ澄ますということから限りなく遠いところにある。



・・・こちらについては、学生時代の課題作りの授業などで”独りよがりな作品に
ならないように”といった趣旨の話を複数の先生方がなさっていたのを思い出す。
これも、自己顕示欲とも相まって難しい問題のように思う。


ところで、穂村氏は自身初の歌集の帯文をマンガ家の大島弓子に依頼したそうです!
『短歌という〜』の中に<あした世界が終わる日に>という詩も載っていて、
それを読んだ時にパッと大島氏の『サマタイム』『ジィジィ』といった作品を
思い出したのだけれど、感覚が似ておられるのでしょうか?(^_^)

『サマタイム』の終わりの1行は、私の中の”印象深い終わり方”の上位に
(勝手に)ランク付けされております(笑)
ちなみに他にはカール・ジャコビの『水槽』、雁須磨子の『SWAYIN' IN THE AIR』
などがそうなんですが、川原泉『3月革命』の「・・・そして 熱海に行くのよ
あたしたち」も捨てがたいなぁ・・・
・・・って、ほとんど漫画だなぁ。


<あした世界が終わる日に> 穂村 弘

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない
あした世界が終わる日が
夏ならいちごのかき氷
舌をまっかに染めながら
輝く雲を見ていたい

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない
あした世界が終わる日が
冬ならメリーゴーラウンド
つやつや光る馬たちの
首を抱えて廻りたい

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない
あした世界が終わる日が
今日なら蝶のアロハシャツ
汗ばむような陽炎の
駅であなたと出逢いたい



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